田川福松(鄭成功)は7歳で中国に渡るまでの間、文武に渡って英才教育を受けた。

中国から派遣された家庭教師から中国語の読み書きを学び、平戸藩の剣術指南・花房権右衛門から剣術を学んだ。

この時期、父の鄭芝龍は顔思斎の後を継ぎ、倭寇やオランダ東インド会社、明の官軍等と東シナ海の覇権を争っていた時期であり、福松と顔を合わせる事は稀であったと想像できる。「父の背中を見て育つ」といった環境ではなかったであろうが、息子・福松と妻・マツに対する十分な養育費は送っていたに違いない。

※平戸・鄭成功記念館、鄭成功母子象